2024箱根駅伝応援企画 連載全8回

襷をつなげ!第100回箱根駅伝への必勝メッセージ


【アンコール号外】駅伝応援同志たちとの夢のような観戦!鶴岡  健  様

この企画の第1話で取り上げました、20071229日に関東学連から出場する中村選手の割り当てコースが発表ということに大注目。立教大学が本選出場でしたら、湘南立教会は往路3区と復路8区が割り当てられ、12月中旬から藤沢や茅ヶ崎での応援場所を決めて、選手の誰が走るかを注目することになります。しかしながら、関東学連から出場となると1枠だけでどこを走るかが大問題。

29日に復路の9区と決まり、東京に近い神奈川ということで東京組と神奈川組に分かれて応援することと決めました。箱根駅伝の応援は初めてのことなので土地勘もなく、コースの地図を見ながら駅の近くで空いていそうな場所として保土ヶ谷に決定!立教箱根駅伝プロジェクトが、この日のために製作しておいた小旗と幟23本を持ち帰りすることとして、残りは宅急便で応援グッズを自宅へ送りました。年末に保土ヶ谷駅付近を下見散策して、保土ヶ谷駅に9時集合と、連絡のつく会員へメールと電話で案内・・・。復路の応援なので前日往路の応援風景を見学し、保土ヶ谷駅から戸塚より5分ほど戻った、直線が見渡せる絶好の場所を発見!そこが意外と空いていたので、明日はここでと決めて戻る。

当日の朝は、一部の幹事の方と手分けして、プロジェクトより提供の幟と小旗を保土ヶ谷駅に持参。全く経験のない事ばかりで、箱根駅伝プロジェクトに入会して、自分一人が舞い上がってしまったのでは?・・・と心配しながら、何人くらい来てくださるか?みなさま、箱根駅伝に興味があるのか?などと心配して待っていると、電車が到着するたびに顔見知りの会員、お名前だけしか知らなかった会員が続々と集まってきた・・・!お孫さんを連れて、ニコニコ顔で「おめでとう!よかったね!」といわれ、一抹の心配が危惧に終わり、みなさまにご案内してよかったとほっとしました。

下調べした沿道地点で、戸塚方面から大きなスライドで、中村選手が大声援を背に走り抜けました!なんとも凝縮されたこの一瞬のための、楽しい企画だっとということを認識。

現在は、筋金入りの駅伝応援同志が沢山揃い、応援までの時間は、お店スペースを提供して下さる会員、終わった後の懇親会場を早くから押さえてくださる会員などなど・・・ あの頃の苦労考えると夢のような日々です。さる1220日からは、駅伝応援同志たちと、ほぼ毎日、楽しい楽しい応援企画の2週間、わくわくの毎日が走り抜けています。1月の2日と3日、みなさん、元気でお目にかかりましょう。

(鶴岡 健  S39経済卒)


【第8回(最終回)】いよいよ来週!悔いなく走って欲しい。現役選手は我々の誇り! 野平  修  様

 1983年から1986年まで、立教大学の陸上競技部で、長距離パートに属していました。

しかしながら、大学から陸上競技を始めた私にとって、当時「箱根駅伝出場」は現実味のない夢でしかなかったです・・・。よく「箱根駅伝を目指していたんですね」と聞かれる機会が多いのですが、正直練習に明け暮れたていたわけではなかったので、戸惑いながら「はい、箱根駅伝を目指していました!」と応じています(笑)。(練習についていくのに必死で一生懸命でしたが、ちょうど実家の商売が傾いて仕送りがなく、バイトに明け暮れてました。)

学生時代は正直、箱根駅伝に対する執着は希薄だったかもしれません。その反動から、卒業後、毎年、後輩たち、現役の成績を隈なくチェックしていました(大きな声は言えませんが、OB会費不払い期間が長かったので、陰ながら)。学連選抜の中村君が、「R」のユニフォーム(この頃まだグリーンでした)で、日テレで中継された時は本当にうれしかったなー。

そんな陸上競技部、不良OBの私ですが、ありがたいことに箱根駅伝の予選会は、3回走らせていただきました。当時のコースは大井埠頭周回コース(20㎞)で、コースは平坦でしたが、周辺は倉庫街、応援はほぼ皆無のつまらないにコースでした(笑)。とにかく部内10番目に入ること、あわよくば、67番目と、それだけ頭に入れて走っていた記憶しかありません。タイムについては、40年前と今とでは段違いなので割愛します(笑)。個別にメールをいただければ、お伝えしたいと思います。

箱根駅伝を走ったことない不良OBからのアドバイスとして、箱根駅伝の本選を走る現役学生には、「自分が思った通り、悔いなく走ってほしい」としか言えないのですが、息子のような彼らを本当に誇らしく思います(24歳になる私の娘も立教卒なので、親近感だけは半端ないのです)。

学生時代、いい加減だった後ろめたさと未練があるかどうか定かではありませんが、齢50を過ぎてから、また走り始め、後輩たちの気持ちを感じています。(みなさんも一緒にゆるりと走りませんか?)

来週はいよいよ第100回の本選!皆さんと一緒に、出場選手に「魂のエール」を送りたいと思います。 (野平 修  S61 産関卒)


第7回:頑張れ!立教!シード権の獲得願う!福田幸夫 様

 箱根駅伝なんて、どこの話だよ!

・・・ってずっと思っていた。少なくとも2022年の夏頃までは。だって予選会のニュースなんて全然聞こえて来ないし、元水泳部だから正直言って全然興味関心が無かった。

富山の片田舎から上京し、一浪の末立教大学の片隅に加えてもらった。卒業して忙しく働いて子育てを終え定年退職してから、漸く自分の時間が持てるようになった。現在はFacebookグループ「立教大学体育会を応援します。」の管理者の一人として立教の体育会応援とグループの活性化に務めている。

母校体育会各部のニュースや戦績、試合結果、大学・校友会。地域立教会のニュースや話題を毎朝、Webから拾い集めてグループに投稿している。現在は、4,500名のメンバー、同じく4,500名のフォロワーに立教関連のニュースを日々投稿している。

そんな中、一昨年から「立教、箱根駅伝」がキーワードとして多くメディアに出てくるようになった。それ以前から野球部も2017年に春季リーグ戦で優勝したり、ボート部・女子バスケットボール部・ハンドボール部などの躍進に目が行くようになった。

 他体育会もそれに歩調を合わせるかのようにこの数年で一段と強くなってきた。体育会各部が、独自の努力や鍛錬、優秀なアスリートの勧誘入部(決してスポーツ推薦じゃありませんよ!!)の結果、強くなってきたのを日々肌で感じられるようになった。

 そして今年20231月、陸上競技部駅伝チームは、昨年55年振りに箱根路に完全復活を果たしてくれた。約束よりも1年も早く。やれば出来る!が体育会全体中で、部員ひとりひとりの自信に繋がり、それが結果としてここ数年の立教大学体育会の好成績の1つの要因となっていると感じている。

さて20241月第100会大会、予選会の前には「何てことでしょう!」と驚くニュースが飛び込んできたけれど、メンバーは自分のやることをしっかりと行い、2年連続本戦出場を果たしてくれた。こんなに嬉しいことは無い。1回出るだけならまぐれもあろうが、連続出場は実力だ!

 シード権を!!なんて無責任な外野が囃したてるが、今1度初心に戻って、最後まで全員で「江戸紫の襷」を繋いで、笑顔で終えて欲しい!のが本音である。

頑張れ!立教!! 無責任なようだが、シード権の獲得を密かに願っているぞ。

(福田 幸夫 S54年卒、キリ教、体育会水泳部卒)


第6回:わくわく、うきうきのお正月、もう、すぐです。河野  理枝  様

掲載されている写真は河野りゅうすけさん撮影。応援場所では向かい側から脚立で撮影されました力作

 あれは2008年ですから、もう15年前のことになるのですね。中村選手が学連選抜で出場し、みんなで保土ヶ谷に集合したのは。それまでお正月というのは漠然とですが、家族や親戚以外とは会えなくて(それはそれでうれしく大切な時間ではあるのですが・・・)、なんとなく物足りないような、塩っけが足りないような気分になる気がしていました。しかし、あのお正月は違いました。とにかくワクワクが止まらなく、応援時に持っていくものを整えたり、まるで気分は桃太郎でした。(あののぼり旗、桃太郎バタとも言います)カメラを持って、脚立を持って、足取り軽く、足軽侍みたいに夫婦で電車に乗りました。(夫には感謝!)わくわくわく。

集合場所に集まった立教の人々は、全員ニコニコ顔で、「こいつぁ~~~春から縁起がいいわい」気分になりました。その時の写真がこれらです。(残念ながら保土ヶ谷応援の写真が見つからず、翌年も中村選手が走った藤沢での応援写真です。)それはそれは、良いお正月でした。

以前、「家の前を通る箱根駅伝、立教大学が走るのを見るのが夢です。」と鶴岡さんに話したら、予選会に行きませんかとお声をかけてくださり、、、!!これはびっくりでした。そうなのです。予選会ならば、必ず走る立教大の選手が見れるのだ!なのです。まるでコロンブスの卵気分でした。皆様も、ぜひどうぞ!です。必ず見れます!と色々な人に喋っているうちに何年か過ぎ、とうとうの中村選手でした。それから何年かが過ぎて、2021年平塚の斎藤選手が、コロナ下で応援ままならぬ中走ってくれました。(斎藤選手は、平塚の中学で河野さんの長男の教え子)家の前で一人で応援して、夢が叶いました。しかし、写真は失敗してしまいました。

そして今年のお正月!なんとなんと!です。55年ぶり。ながい気持ちの襷がつながりました。本物の「こいつぁ春から縁起がいいワイ」の年になりました。そしてそしてー。今年の予選会も無事突破。色々あり過ぎて、無事ではなく有事突破でしたのでしょうが、りっぱでした。見事です。2024年まで残り一か月を切りました。わくわく、うきうきのお正月、もう、すぐです。

立教ありがとう!(河野 理枝 S59 英文卒)


第5回:「生きているうちに箱根路を」の夢が実現! 小川  昭世 様

 今からおよそ20数年前のお正月の事です。元旦に、東京の家で3家族全員でお祝いを済ませ、翌日2日の午後恒例となった元箱根の家へ主人と向かいました。第1の目的は、箱根駅伝復路のスタート地点近くでの応援です。3日の朝はあいにくの霙。

このような天候の時に、全幅の信頼を置く頼れる相棒4駆のBMWX5で、いつもの無料駐車場を目指し、6時半に出発。外は霙と雪が繰り返す冷たさ。冬用の内部が、毛の靴を履いていてもジンジンと痛いほど。当時は、芦ノ湖沿いに歩いて行くと、読売新聞社の車が人々に旗を渡すためにゆっくりと走ってきます。時間も8時に迫ると、空に花火が「ドーンドーン」と打ち上げられ、各大学の応援団・チェアガール達もますます熱が入り、いよいよという雰囲気が盛り上がります。その中で、目を見張る光景に出くわしました。紋付き袴の団体が、手に手に真っ白な太い大根を持って、団長の声に合わせ踊るように応援しているのではありませんか。手袋をはめていても指先が痛いくらいに冷たいのに、素手なのです。初めて見るこれが、あの有名な農大の「大根踊り」だったのです。チェアガール達もお揃いの短いスカートを身に付け、アクロバット的な宙返りをする者もおり、その進化に驚きました。沿道の人も、今か今かとその時を待ちます。まずパトカー、新聞社の車等に続き、間をおいて、先導の白バイがスタートすると、1位の走者が走ってきます。その頃は、駒大、順天が強かった時代で、確か駒大だったと記憶します。その霙を踏む「ヒタヒタ」という足音は衝撃的で、今でも生々しく想い出されます。一斉スタート組が走り去り、終了となります。

「あー立教が出ていたら」・・・全国放送でこれほど良い宣伝はないのにと嘆きつつ家に戻り、急いでテレビをつけました。驚いたことに、先頭の選手はすでに山を下りきり、湯本の函嶺洞門(現在は使用されてないコース)に到達しているではありませんか。その速さはいかばかりか。

しばらくして、男性がほとんどの「箱根駅伝プロジェクト」に入会させて頂き、心細さを感じながら参加することに意義ありと、自分を鼓舞しておりました。数年前の総長、理事長、校友会長始め、いろいろな方のご努力により、「生きているうちに箱根路を」のみんなの夢が、お陰様で今年実現!立川での予選会で再び6位に入り、2024年の箱根駅伝100回記念の本戦に、再び出場を決めました。あの農大も今年は入選。乞うご期待です!

私は、「サパンヌ美術クラブ」のOGです。11月の池袋の展覧会には、現総長も出展なさって下さいました。立大も、豊島区の文化活動にいるとの事です。これからも、立大の文武両道のご活躍とご発展をご祈念いたします。(小川昭世 S39英文科卒)


第4回:湘南立教会 ~箱根駅伝復活の着火点~    清水  誠  様【後篇】

 湘南立教会は毎年春に多くの来賓を招いて定期総会・懇親会を開催している。2018年3月の総会も鎌倉プリンスホテルで開催することにしたが、大学からは総長はじめ誰も出席がないと知らされた。それを受けて筆者(清水)は、4月から第21代総長に就任が決まっていた経済学部教授の郭洋春先生を研究室に尋ね、鎌倉へのお運びをお願いした。郭先生は総長就任にあたって地域校友の声も聴きたいと快諾をされ、当日は特別ゲストとして懇親会のスピーチで総長への抱負を熱く語られた。120人ほどの懇親が始まると、自席を温めることなくすべての円卓テーブルを回って地域校友のとの交流を楽しまれていた。しかし、その場で多くの湘南のメンバーが口々に箱根駅伝復活への思いを述べて新総長への期待を語りかけ、その熱気に郭先生は大いに触発されたのでした。

 5月の校友会代議員会・会員総会で初めて郭総長の挨拶があった。そこではやや停滞気味であった立教大学を教学・社会活動両面でMARCHレベルにとどめることなく、その先へと進めるべきと意欲的な大学運営の考えを発表された。その一つに5年後の立教創設150周年と第100回記念の2024年箱根駅伝へ出場するという大方針をぶち上げた。郭総長はそれまでの方と異なりやや型破りのところはあるが、強いリーダーシップを発揮されてこれらの施策を見事に短期間でまとめ上げられたのであった。さらに、同年11月の立教池袋キャンパス100周年イベント(於・タッカーホール)では、新たに招聘した駅伝監督の紹介や合宿所の新設など構想の実現に向けて矢継ぎ早に取り組んでいることが公表された。

 一方でこれらは大学が組織的に行うので自主的な「箱根駅伝プロジェクト」の活動は中止するよう要請をされ長年携わってきた関係者はいささか当惑した。しかし、駅伝に出場という目的では一致するところなので大局的な判断により2019年(令和元年)5月をもって解散し基金は募金室へ移管することで終結した。プロジェクトの最後の会長は相京溥士氏(昭和35年経)、幹事長は鶴岡健氏(昭和39年経)であった。

 2021年に西原廉太・現総長が就任したが構想は引き継がれ、駅伝監督の就任によって有力高校生の獲得など選手強化体制も整い、予選会の順位も順調に上がり、ついに予定よりも1年早い2023年正月の第99回大会に復活出場することができ、総合18位ながら江戸紫のタスキをアンカーまでつないだ。こうして今や全国的な正月のビッグイベント箱根駅伝で「R」のゼッケンが疾走することとなり、まさに第100回大会で長年の宿願が結実するところになった。

 このように立教大学が箱根駅伝へ再挑戦するという大転換の着火点は実に湘南立教会にあり、それが我々の密かな誇りであります。栄光の立教、湘南はその先端に立って全国のリーダーであってほしい。(写真:総会であいさつする郭総長)

清水 誠(昭和41年経、2016~2020湘南立教会会長)


第3回:立教箱根駅伝プロジェクト~20年余りの奮闘~ 清水  誠  様【前篇】

1968年(昭和43年)以来55年ぶりに箱根駅伝の本選出場にまでには諸先輩の涙ぐましいドラマがあった。校友は母校が箱根から長らく遠ざかってやりきれない思いでいた。これを是非復活させようと2002年(平成平成14年)に上野浅草立教会を中心に「立教箱根駅伝プロジェクタト」が立ち上がった。プロジェクトの初代会長は上野立教会の金子浩一会長(昭36英・上野東金屋ホテル社長)であった。金子氏は立教観光クラブの幹部でもあり、地元立教会のみならず観光業界などに従事する校友に広く参画のお誘いがあった。小生もその一人、藤沢市に在住し箱根駅伝3区の難所でもある名刹・遊行寺の門前を通勤経路にしており、一つ返事でほぼ創設時のメンバーに加えていただいた。年次ごとの会員名簿を見ると大学・学院・司祭や校友会の役員をはじめ行政やマスコミなど実業各界で活躍される多数の校友が名を連ねている。       

いわば「勝手連」ではあるが箱根駅伝で立教のゼッケンを付けた選手の雄姿を見たいと願う集まり、定期的に会合を持って対策を検討し、実現の暁に必要となる資金の積み立ても行った。活動は他立教会へ参画の働き掛けや署名運動、陸上競技部との情報交換、大学当局への接触など地道な努力を重ねてきた。一方でその時間の経過とともに、趣旨に賛同した多くの有力な先人が鬼籍に入るなど長い時間を経たが、思いを持った先輩方が代をつなぎ情熱を絶やすことはなかった。その中で2008年(平成20年)と翌年に中村嘉孝選手が学連選抜のメンバーで本選に出場して一時は期待が高まったものの、やはり大学が本腰を入れて駅伝に取り組むという機運を見せることはなかった。ようやく事態の変化が訪れたのは、その約10年後、2018年まで雌伏の時間が過ぎていた。その劇的な経緯は後段でお伝えする。

(清水 誠 S41年 経済卒、20162020湘南立教会会長) 


第2回:箱根駅伝4年連続出場! 服部 昌司 様

湘南立教会の各種会合で、箱根駅伝が話題になりますと、服部昌司先輩(S35 社会卒、以下「服部選手」と記載。)にスピーチをお願いします。30年来親しくさせていただいております鶴岡は、もっと面白い、言ってみれば「箱根駅伝秘話」を伺っておりますので、今回はご本人に代わってエピソードをいくつか記述させていただきます。

まず初めに、ビックリされると思いますが、服部選手は、高校時代はランナーでなくスキーヤーでした。立教大学スキー部に入部するはずが、「箱根を走りたい」と陸上競技部の門をたたきました。スキーで鍛えた脚は、他のランナーたちに勝るとも劣らず、当時の本間主将の故郷、佐渡島での夏合宿で、めきめき力をつけて、1年生から8区を走り、2年時も8区を任されました。そして、3年時にはとうとう、5区の箱根の山登りに挑むまでに台頭します。

当日、服部選手が小田原の中継所で待機中に、今では考えられませんが、当時は部員の伝来(でんれい)が、「おい!首位争いしているから頑張れよ!」と自転車から報告をしました。それまで平常心を保っていた服部選手の脳裏に、往路優勝で箱根湖畔のテープを切る自分が浮かんだそうです。そして、自ら鼓舞したところ、平常心を失ってしまい、襷を受けるや飛ばしすぎで湯本のあたりから苦しくなり、4人に抜かれて、何とか芦ノ湖畔にゴールした苦い思い出を伺いました。「しかし、復路のメンバーが頑張ってくれて、私のブレーキを挽回してくれて、4位になりホッとしました。」(服部選手談)

4年時では、キャプテンとしてアンカー10区を走りました。1年の時の3位が最高成績で、その後、残念ながら学校側はスポーツに力を入れなくなりました。今春の55年ぶりの復活までは、箱根駅伝プロジェクトに入り、復活に向けた活動を続けながら、この栄光の日を待ちわびておりました。

先日の立川での第100回大会予選会も、湘南立教会メンバー、箱根駅伝プロジェクトメンバー、地元立川の校友との合同応援会へ行ってきました。選手と一緒に走ってコーチをする理想的な監督を失ったことは大変な痛手と心配しましたが、選手達は、その教えをよく守って昨年と同じ6位という輝かしい結果を達成!来春につなげて、本当に良かった!感謝です。

 

来年のお正月は、今年同様、茅ヶ崎1中通りで、皆さまと一緒に応援します。箱根駅伝の応援会場で、お会いしましょう。(鶴岡 健 S39経済卒 代筆)


第1回: ミスター立教箱根駅伝PJ 坂本浩之氏の想い出

 芳賀会長から、「湘南立教会の駅伝応援の盛り上がりを、本選まで維持しましょう!」と、駅伝本選までの残り2か月の間に、筋金入りの立教駅伝サポーターの大先輩から「第100回箱根駅伝への想いと必勝メッセージ」をいただき、HP8回にわたり連載することになりました。「何十年も前から出場を待ち焦がれていた、心に秘めた、熱く煮えたぎる想い」をみなさまへお伝えしたいと思います。

記念すべき第1回は、十数年前、鬼籍に入った同期の坂本浩之さん(通称ヒロさんとして親しまれたので以下「ヒロさん」。S39 経済卒)の20年前の活動の思い出を、鶴岡が記させていただきます。

100回大会の箱根駅伝予選会は、1014日に立川昭和記念公園で開催されました。事前に心配した監督解任を見事に乗り越え、2年連続で歓喜の箱根を実現しましたが、その20年前の、第80回大会予選会が箱根で開催されたことをご存じの方がおられたら、それこそ筋金入りの駅伝ファンとして尊敬、賞賛いたします。

80回大会予選会は、20031018日に開催されました。箱根町芦ノ湖・湖尻林間駐車場(スタート)〜芦ノ湖スカイライン料金所(折り返し)〜芦ノ湖東岸〜元箱根(周回)〜芦ノ湖東岸〜箱根高原ホテル(ゴール)のコースでした。

そのころから駅伝に興味津々だったヒロさんは、箱根まで一人で応援に行き、後日、いろいろと熱のこもった話をしてくれました。その時に、応援会場で奇妙な集団に出会ったとのことです。当時としては珍しく、立教の幟や小旗を持ち、集団で応援していて、上野浅草立教会に本部を置く、「立教箱根駅伝プロジェクト」という会で、一部のメンバーは、鶴岡のこと知っていると告げたそうです。その後、ヒロさんに背中を押されて、プロジェクトに入会して、母校愛に燃えたたくさんの校友と出会いました。

81回大会からの予選会の開催は、昭和記念公園に場所を移しました。この時、プロジェクトメンバーは、前日は近くでゴルフ、夜は懇親会・・・・そして、予選会当日は3040位で予選通過の見込みがない母校を、幟をもって熱心に応援しました。

その4年後の2007年の予選会では、中村選手が関東学連から選出される快挙に沸き、学校もあわててプロジェクトの会に職員を出席させて、初めての応援の打ち合わせを開催。出場区間が9区戸塚~鶴見間に決定した1229日に、プロジェクト事務所に集まって、東京組は生麦付近、小生は神奈川組として保土ヶ谷駅付近で応援することに決まりました。事務所から、幟や小旗を拝借して、当日、写真のようにヒロさんは、現役応援団のように校旗も持って保土ヶ谷駅に臨みました。

  いまなお脳裏によみがえる、なつかしいヒロさんの思い出です。(鶴岡 健 S39経済卒)