健康ウォーキングの会

2017年3月23日(木)


健康ウォーキングの会 3月例会  

 

実施日 : 23日(木)

参加者 : 13

 コース : 国府津駅 ~ 東華軒 ~ 和仁医院 ~ 国府津館跡 ~ 

 国府津の浜 ~ 路地 ~ 親木橋 ~ 巡礼街道 ~

 森戸川沿いの道 ~ 森戸の松跡 ~ 新幹線沿いの道 ~ 

 名取和作別荘跡 ~ 大鳥圭介別荘跡 ~ 石田禮助別荘 ~

 宝金剛寺 ~ 菅原神社(昼食) ~ 国府津小学校発祥地跡

 ~ 大隈重信別荘跡 ~ 森村市左衛門別荘 ~ 諸戸別荘

 ~ 国府津機関区転車台跡 ~ 国府津駅

 

今回は「最後の将軍 徳川慶喜公の散歩道」と称して晩年の明治44年から

 大正2年にかけて滞在した国府津(大鳥圭介別荘)で残されていた滞在記録

 にある散歩先や近辺にある政財界の大物の別荘跡などを主に訪れた。

 同行していただいたのは昨年9月の小田原ウォーキングでお世話になった

 ガイドの府川喜代江さん(NPO法人 小田原ガイド協会)である。

 

 慶喜公は晩年避寒のため、側近であった渋沢栄一の勧めもあって国府津の

 大鳥圭介別荘で保養をしていた。喘息持ちだったので地元の和仁眞一医師が

 連日往診。国府津館は渋沢栄一の定宿であった。

 

 駅前にある東華軒は明治21年創業で東海道駅弁の元祖である。因みに東海道線

 国府津駅開通が明治20年、御殿場回りの東海道線が開通したのは22年だから

 機を見るに敏な創業者だったのだろう。現在も西湘・伊豆北部では一番人気で

 熱海、小田原、国府津各駅(国府津は近接)に売店を持っている。

 

 名取和作は富士電機製造の初代社長で国府津の別荘「掬泉居」は7000坪の広さ。その離れには歌人の川田順・俊子夫妻が戦後暫く住んでいた。逆境を乗り越えた68歳と40歳の年の差婚に社会は騒然、彼の歌の後半に「墓場に近き 老いらくの恋は 恐るる何物もなし」とあります。皆さまどう思われますか。

 

 石田禮助は三井物産出身、77歳で第5代国鉄総裁(昭和39年から44年)と

 なり経営合理化に努めた。昭和15年に1500坪、後に大鳥別荘を併せ3000

 の広さとなった。城山三郎が彼のことを書いたのはほぼ30年も前になる。

 

宝金剛寺は小田原最古の寺院(829年開山)で庫裏は国登録有形文化財。境内

 の小高い処には国府津建武古碑(板碑には阿弥陀、観音、勢至を表す梵字が

 刻まれている)が見られる。

 

 昼食を取った菅原神社には、曽我兄弟隠れ石と大鳥圭介扁額及び和仁眞一が

 献納した常夜灯がある。

 国府津駅を過ぎ東に向かい東海道線をくぐり北側に進むとかなりの坂道となる。

 ここにあの大隈重信の別荘(3000坪)があったとは!現在とは異なり住宅も

 なかっただろうから、別荘からの海の景色は素晴らしかったに相違ない。

 近くには森村市左衛門(ノリタケ、東洋陶器、日本ガイシなどの創業者で

 日本女子大の創立発起人)の別荘もあった。

 

 森林王と言われた諸戸清六も国府津に別荘を持っていた。後年大隈重信の勧め

 で鈴鹿山脈、丹沢山地に数千町歩の土地を所有したと言われている。

 

 今回はNHKの朝ドラ「あさが来た」に描かれた人物(大隈重信夫妻、五代友厚、成瀬仁蔵…)に多くの関わりがあったことに吃驚させられた。因みに脚本を書いた大森美香さんは高校の後輩である。

 

 今回もガイドの府川さんには下見から資料準備まで大層お世話になりました。

 心から感謝いたします。

 

                       昭和49年卒  横山 司           



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